肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。(ローマ8:3)
御子イエス・キリストの十字架の贖いの苦難と死による神との関係の回復こそ私たちの救いの中心です。けれども折角、バプテスマを受けて神との関係が回復されたにもかかわらず、先祖伝来の罪の生活にあまりにも長く浸ってきたために、いまだになお神に反する肉の思い、また悪しき習慣から脱し切れていない現実はないでしょうか。あなたの心の奥底から聖霊の清い命の水が溢れ流れるまで、十字架と復活における罪と呪いの力からの解放を信じて、自分の罪を誤魔化すことなく真正面から取り組んで祈り戦いましょう。クリスチャン生活とは、主の十字架の贖いによる罪と赦しの恵みに日々に与りつつ、主と同じ姿にまで変えられ続けていく聖化の歩みに他ならないのです。
【NKJV】
For what the law could not do in that it was weak through the flesh, God did by sending His own Son in the likeness of sinful flesh, on account of sin: He condemned sin in the flesh, that the righteous requirement of the law might be fulfilled in us who do not walk according to the flesh but accordingtu to the Spirit. For those who live according to the flesh set their minds on the things of the flesh, but those who live according to the Spirit, the things of the Spirit. For to be carnally minded is death, but to be spiritually minded is life and peace.