2013.6.1 「望みの忍耐」

被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。(ローマ8:22)

 私たちは、クリスチャンになったから万事が順調に進むと安易に考えてはなりません。信仰生活は、私たちを神に対する不信仰と懐疑に突き落とそうとする絶えざる攻撃にさらされることであり、主のみ言葉を信じ抜く戦いに他ならないからです。けれども、いかに途中の戦いが厳しくても最終的にはすべてに勝利を与えてくださる主と主の約束の言葉に固着して、自分に与えられた信仰の道を走り抜こうではありませんか。

【NKJV】
“For we know that the whole creation groans and labors with birth pangs together until now. Not only that, but we also who have the firstfruits of the Spirit, even we ourselves groan within ourselves, eagerly waiting for the adoption, the redemption of our body. For we were saved in this hope, but hope that is seen is not hope; for why does one still hope for what he sees? But if we hope for what we do not see, we eagerly wait for it with perseverance.”

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