イエス・キリストは、全人類の救いのために多くの苦しみを受け、父なる神様の必然の道である十字架に架かられ、命を捧げられました。なぜイエス様は苦しみを受けなければならなかたのでしょうか。受難節のこのとき、イエス様が受けた傷、そして苦しみながら歩まれた十字架の道を御言葉より聞き、イエス様のお心に少しでも近づこうではありませんか。そしてイエス様が奴隷の姿にまでなって弟子たちの足を洗われたように、私たちもまた隣人を愛し、赦す者になりましょう。隣人に仕えること、赦すこと、すなわち十字架の道こそが祝福の道だからです。