だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。(マタイ10:32)
こんな罪人の頭のような私のために尊い命さえ献げてくださったイエス様の愛と犠牲を思うとき、命を懸けてイエス様を証していきたいと心から願わずにはおれません。けれどもペテロが「たとい死ななければならなくても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と強く誓いながらも、十字架を前にしてイエス様を三度も知らないと言ってしまったように、私たちは誰も自分の決心や熱意によって主に従うことはできません。信仰生活は自分の力によってではなく、聖霊の恵みによるものだからです。ペンテコステの聖霊の火が注がれて、あの弱虫の弟子たちが、命を懸けて主を証する大使徒へと変えられたように、私たちの教会にも聖霊の火が満たされ、人を恐れる者ではなく、喜んで主のために命を捧げる殉教的クリスチャンとして頂こうではありませんか。
【NKJV】
“Therefore whoever confesses Me before men, him I will also confess before My Father who is in heaven. But whoever denies Me before men, him I will also deny before My Father who is in heaven.”