2012年12月30日 主日礼拝「神の栄光を見るとき」 ヨハネによる福音書11章38-44 末盛桜子神学生

死んで四日も経ったラザロを目の前に、人々は絶望を感じ涙を流しました。「主よ、もしあなたがいてくだされば…」 そのときイエス様は「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と、言われました。
祈っている問題がなかなか解決しないとき、人生に光が見いだせないとき、私たちはこのラザロのお墓の前で泣く人々と同じことを言ってはいないでしょうか。神様がご栄光を現されたとき、イエス様が最初におっしゃったことは「その石を取りのけなさい」というお言葉でした。これは、私たちの内側にある頑なな自我です。イエス様は何度もこの病気が死で終わるものではなく、私たちが信じるようになるためであり、そのことによって神様が栄光をお受けになることをお語りになりました。しかし、それでも信じることのできない現実に目を向け、神様の言葉を聞くことができない、重い石に覆われている私たちに、イエス様はまずあなたの中になるその石を取りのけるようにと言われます。無から有を生み出し、死人さえよみがえらせることのおできになる神様にとって、私たちを死的現実から解放することは容易なことです。しかし、神様にそのお力があっても、それを信じることができなければ、神様の栄光を見ることができません。インマヌエルの主は、過去ではなく今、共に生きて働いておられる神様です。

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