8月25日主日礼拝 「天の門が開かれた人」 創世記28・10-22 野口日宇満牧師

ヤコブは自分の罪ゆえに兄エサウから逃げなければならない道を辿ることになります。この時のヤコブは、自分の目的のためならばたとえ人を騙しても、自分の利益になることを選ぶような人でした。行きたい場所、成りたい自分に向って、一生懸命、下から上へとはしごを伸ばす。そんな人生でした。しかし、今日の交読箇所、創世記28章を読んでみると、はしごは下からではなく、天からヤコブに向って降りていたと書かれています。私たちがどのような弱さの中にあっても、過ちを犯してしまっても、神様の愛と慈しみはすべてを越えて貫徹しています。それゆえ、今日のヤコブにも神様の恵みは降り注がれ、最も善き道が備えられていたのです。イエス・キリストを信じる私たちは、もう無理だと思うような現実を目の前にしても、神様が過去に未来に現在に語られる約束の言葉をただ信じて歩むならば、必ず天の門は開かれ、私たちの思いを遥かに超えた神様の祝福を見ることができるのです。そして、天の門が開かれた人には、世界宣教の使命が用意されていることを知るでしょう。イエス様は今日も、私たちの人生のど真ん中におられ、病、苦しみ、嘆き、絶望すべてを負い、十字架上より執成して下さっているのです。

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