8月18日主日礼拝 「わたしに力をください」 ルカによる福音書12-49・50 末盛神学生

教会に行ったことがある人も無い人も、きっと多くの人が、「神は愛なり」というこの言葉は聞いたことがあると思います。そして、クリスチャンであるなら、神様が愛であることは自明のことでしょう。しかし、どうでしょうか?皆さんはこの言葉をただ聞くだけで終わってしまってはいないでしょうか。神様の愛は、私たちを動かす力があります。それは、私たちを罪の束縛から解放し、病を癒し、再び立ち上がらせる力です。では、その力はいったいどこから来るのでしょう。今日の聖書箇所で、イエス様はご自分が地上に来られた目的をお語りになりました。「わたしが来たのは、地上に火を投じるためである。」これは聖霊の火です。そして、その火を投じるためにご自分が受けなければならない十字架の道を、イエス様はお語りになります。私たちが罪の力から解放され、イエス様と共に自由の身となって生きることができるように、イエス様は受けなければならない苦しみ、十字架を受けて下さったのです。
そして、イエス・キリストを信じる者は、イエス様の十字架の道が必然であったように、私たちが、地上に投じられる聖霊の火に与ることは神様の必然なのです。使徒言行録2章ペンテコステの記事には、「終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。」と書かれています。そこには何の条件もありません。ただ一つ、神様がおっしゃったことは「求める人」にということです。神様は、求めて祈る人に豊かに聖霊を注いでくださいます。私たちは日々、弱さを覚えるものです。神様の愛が見えなくなるときがあります。しかしそんな時、不信仰になり祈りを止めてしまうのではなく、そんな時こそ、私たちは求める者に必ず与えられるという聖霊の火を求めて祈りに立ち上がろうではありませんか!そして、日々、神様の愛の力に動かされて生きる者になろうではありませんか!

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