2013.3.12 「キリストのために受ける苦難」

罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。(1ペテロ2:20)

 私たちの信仰生活が、いつも聖霊充満で主の恵みに満ち溢れたものでなければならないことは言うまでもないことですが、キリストの十字架の姿に近づき、その苦難にあずかるところにこそ信仰生活の真のハイライト、到達点があることを覚えていましょう。キリスト者であるがゆえに悪口や嫌味を言われたり、ある場合には直接的な迫害を受けたりするときに、愛と赦しと謙遜をもって応えるとき、あなたの内に十字架の命と恵みが溢れ流れるのです。

For what credit is it if, when you are beaten for your faults, you take it patiently? But when you do good and suffer, if you take it patiently, this is commendable before God. For to this you were called, because Christ also suffered for us, leaving us an example, that you should follow His steps.

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