【 苦難の先にあるもの 】

「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」 ヘブル12:11 Now no chastening seems to be joyful for the present, but painful; nevertheless, afterward it yields the peaceable fruit of righteousness to those who have been trained by it. Heb 12:11

苦難の中にあるときは、その状況から早く抜け出すことを願うものです。それほどに、私たちにとって主の鍛錬は当座は喜ばしいものではありません。しかし、ダビデは「その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。」と、主の憐れみ深さを告白しました。主は全ての事柄に目的をもたれ、鍛錬を通して、私たちの内に霊の実を結ばれ、ご自分の愛と真実の変わりなきことを教えられます。苦難は一時、しかし、主の恵みは永久に移ることがありません。祈り:愛する天のお父様。全ての出来事の内にあるあなたの御思いを覚えながら、あなたに寄り頼み今日も歩むことができますように。あなたと共に朝を迎え、あなたの内に喜び生きることができるように、私を導いてください。主イエス・キリストの聖なる御名によってお祈りします。

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