「わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、 どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。」 (口語訳)フィリピ4:11 Not that I speak in regard to need, for I have learned in whatever state I am, to be content: (NKJV)Phi 4:11
物が豊かであっても、貧しくても、健康であっても、 病であっても、 クリスチャンはいつでも主において全てが満ち足りていると、 大胆に告白することができる。しかし、 この世は貧しければ豊かになることを願い、 豊かであればもっと豊かになることを願い、 いつまでも足ることなく、感謝することがない。 パウロにとっては、 どんな境遇であろうともキリストが全てであった。 置かれた場所は主がおられる場所であり、主が彼を助け、 主が栄光を現わす所であった。それゆえに、 彼にとって不可能なことは無く、全てが主において可能であった。 祈り:愛する天のお父様。御言葉を通して、 今朝も私の霊の目を開いてくださり感謝します。 不平不満の多い私の罪を聖め、どんな状況にあっても主を喜び、 主を求め、主によって足ることを学ぶことができますように。 主のご臨在の内に私を正しく歩ませてください。主イエス・ キリストの聖なる御名によってお祈りします。