彼らは論じ合った。マルコ 11:31
They started to argue among themselves: (TEV)Mar 11:31
「論争の日」と言われるこの日、神殿にいたイエス様のもとに祭司 長、律法学者、 長老たちなど俗に言う宗教家と呼ばれる人々がやってきました。 そして、権威について、復活について、ダビデの子についてなど論 じ始めたのでした。彼らは、イエス様を前に「論じ合った」のでし た。自分では理解できないことがあるとき、また、 理解を越えた出来事が起こるとき、本を読み、辞書を開き、 様々な意見や経験を聞き、自分なりの理解をしたいと願うものです 。しかし、信仰は理解することでも考えることでもありません。 まして、神様と論じ合うものではありません。唯、 神様の全てを信じ委ねることです。神に対する学識や知恵、 もしくは自分の価値観や経験をもって高慢になり、論じ合った彼ら の下した決断はイエス様を十字架につけることでした。 どんなに聖書の知識を蓄えても、多くの奉仕を捧げても、 信仰がなければ神様に喜ばれることはできません。祈り: 愛する主よ。十字架であなたが死なれるまで残り数日となった朝、 あなたはどのような心で人々の論争、 不信仰を耳にされたことでしょう。今日も「唯、神を信じなさい。 」と、仰ったあなたの御声を聞きながら一日を過ごすことが出来ま すように。信じない者ではなく、 信じる者となりあなたの苦しみをお慰めする者となれますように、 聖霊様、私たちを憐れんでください。