9月22日主日礼拝 「アンテオケ教会であれ」 使徒言行録13.1-3 野口日宇満牧師

善き力に守られて生きること、それは、インマヌエルの主と共に生きる人生です。主と共に生きるということは、私たちの人生の目的が自分の思いや計画ではなく、いつも主の御心に聞き従うということです。今日の聖書箇所であげられた使徒言行録に出てくる、アンテオケ教会は最初に世界宣教を行った群れでした。決して大きな教会であったはけではない、特別優れていたわけではない、ただ一つ主の御心に従うということ、そして貧しいからこそ主に喜んで献げることに豊かであった教会でした。まさに、インマヌエルの教会です。世界宣教は決して私たちの力ですることではありません。主が使命を与え、主が遣わす者をお選びになり、主が教会を用いて成される業です。そのことを私たちは忘れてはなりません。なぜなら、全世界に出て行って福音を宣べ伝えること、一人でも多くの魂を救うこと、これは主が願っておられることだからです。私たちはその主の熱い御思いに動かされ宣教をし、あらゆる国民、種族、民族がイエス・キリストの血潮によって清められ神様を礼拝する者となることができるように。また、私自身も清められ、使命を通してまことの礼拝者となり、日々の生活の中で、家族や仕事を第一にするのではなく、まず、神様を一番にする者へと変えられるようにと祈りましょう。
そして、アンテオケ教会は、断食と祈りの教会でした。食を断つと言うことに表される意味は、私の命を献げるということです。犠牲の伴う祈りです。黙示録5章に、「巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、竪琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖なる者たちの祈りである。」と書かれています。私たちは“世界宣教”という巻物を主から受取り、受け取って終わるのではなく、その時、祈りの香を満たさなければなりません。主はご自分のご計画を勝手に進められるのではなく、私たち教会の祈りを通して行われるお方です。
今日は、野口牧師をルワンダ研修に派遣する礼拝です。私たちは、教会で語られる主の御声をしっかりと聴き、受け取ったなら、最後まで祈りの手を高く上げて戦いましょう!インマヌエルの主が共におられます!

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