9月1日主日礼拝 「打ち砕かれ悔いる心」 ルカによる福音書22・24-34 野口日宇満牧師

「神様が用いられる人」それはどんな人でしょうか?頭が良く能力があり、健康で善良な人間、、、と私たちは想像するでしょうか。しかし、聖書はそうは言っていません。今日のメッセージのタイトルにあるように神様が用いられる人とは、「打ち砕かれた心」を持っている人です。神様の前で、自分がどれほど弱く貧しい人間であるかを知り、いつも謙り悔い改めをもって生きる人、それが打ち砕かれた心を持つ人です。そして、神様はそのような人を用いてご自分のご計画を成就され歴史を動かされます。
 今日の聖書箇所はペテロの記事です。ペテロは、「主よご一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と、主と共に十字架の道を行くことに自信をもって答えました。しかし、一番弟子のペテロでさえ、イエス様の十字架の前に自分の覚悟ではどうすることもできず、最後イエス様を裏切ってしまったように、私たちもまた、自力で主の十字架の道を行くことはできないのです。なぜなら、私たちの根っこにはいつも、自分を一番にしたい、自分を守りたい、自分の願い通りに人生を運びたいという傲慢があるからです。そのような私たちの内側を主は取り扱いたいと願っておられます。そのために、主はあなたを火のような試練に合わせることがあります。
けれど私たちは、恐れることはありません。なぜなら、イエス様はいつも「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。」と、弱い私たちのために祈り続けてくださり、今日もまた、十字架上より血を流し贖い続けてくださるのです。だから、私たちは弱さに留まることなく、神様の力ある御言葉にこの身を委ね、恵みによって前進しようではありませんか。そして、今日も教会の祈りに繋がり、真の悔い改めを主に献げようではありませんか。

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