教会は、イエス様が私たちの罪のために来て下さり十字架上で死なれ、復活されたことを、ただ記念するために立てられているのではありません。私たちは、受けたこの恵みを自分の所で留めてしまうのではなく、それを流して行かなければなりません。終わりの時、すべての人に聖霊の火が注がれると、神様はおっしゃいました。そして、その火を受ける時、皆が宣教の力に燃やされて世界宣教をするとおっしゃいました。それが、教会に与えられている使命です。
今日は、ペテロさんがイエス様の御言葉に従って、沖へ漕ぎ出したという聖書箇所から、私たちも浅瀬に留まることなく沖に漕ぎ出す者になりたいと願います。
この時、漁師のプロとして全てを知り尽くしていたペテロさんは、自分の経験や知識では一匹も魚が取れない状況に陥っていました。そこにイエス様は来られ「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と語られたのです。私たちも人生の中で、今日のペテロさんのように自分の経験や知恵ではどうにもならない現実に遭遇することがあります。その時、ペテロさんはどうしたでしょうか?「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えました。すると、網は破れるほどの魚でいっぱいになりました。そして、イエス様のお言葉に従ったペテロさんにイエス様は、「あなたは人間をとる漁師になる」と言われました。この御言葉を、私たちも今日、現実の中で聞きましょう。そして、御言葉に生きる者になりましょう。神様は、あなたが浅瀬から沖へと漕ぎ出すことを願っておられます。原典でこの「沖」と言う言葉は、「深み」という意味があります。すなわちこれは決して距離のことを言っているのではありません。一人ひとりは、皆、人間をとる漁師として選ばれています。今、置かれている場所で、神様はあなたを更なる信仰の深みへと招いておられるのです。
8月4日主日礼拝 「深みに漕ぎ出しなさい」エフェソの信徒への手紙3:14-21 野口牧師
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